ANOTHER STORY BLACKSIDE3
ある日、吉田佳奈が聴きたいCDがあると話しかけてきた。
よく喋っていたころに話していた、俺も吉田佳奈も好きなバンド。あのころは、そんな小さな共通点がうれしかった。
だけど今は、あまり喋らないようにしていた。
だから何だか、本当に久しぶりに話している。もう忘れたくて、あまり吉田佳奈のことを見ないようにしていた。
気のせいか、また少しきれいになっている。
「じゃあ、今日の帰り、取りに来る?」
俺の家は、吉田佳奈が使う駅のすぐ近くだから、前にも何回かそうやってCDの貸し借りをしていた。だから、何気なく言ったのだが、吉田佳奈は少し浮かない顔をした。そして、窓の外に目を向ける。
外は雨。
「何か約束があるんなら、明日学校に持ってくるけど」
「え? あ、ううん、何もない。早く聴きたいし、今日行くね」
心がない笑顔。
何を考えているの? 甲斐のこと?
軽い気持ちで訊けたらいいのに。まだ割り切れていない。
俺しか気付いていない、ふたりの変化。クラスで噂になっていないってことは、まだふたりはつきあっているわけじゃあない。
だから、もう俺は、吉田佳奈の前で甲斐の名前なんか出したくない。
今は、このまま。
せめて本当の笑顔が見たいと思って、俺は必死でくだらないことを喋った。吉田佳奈の心から、一瞬でも甲斐が消えればいいと願った。
吉田佳奈は俺の話に、顔をくしゃくしゃにして大笑いしながら、俺の腕をバシバシと叩いた。
俺の黒い傘の隣に、吉田佳奈の赤い傘がちょこんと並んでいる。
初めてこうして並んで歩いたのは、いつだったか。
あのころの吉田佳奈は、ただの地味な、でもめちゃめちゃきれいになる可能性を秘めている、と俺が思い込んでいた、女の子だった。俺の気持ちも、友達以上ではあったけど、まだはっきりしたものは何もなくて。
だけど、今は。
たぶん、吉田佳奈が恋をした、あのころに。
恋は伝染する……わけはないけど。
前に並んで帰ったあの日より、俺ははるかにぎこちない。俺だけがぎこちない。
吉田佳奈は前と同じように楽しそうに話している。河本みなみの話や、今日の体育でドジった話、昨日見て面白かったテレビの話、そして、最近雨の日が好きになったこと。
「え? 雨が好きなの? ああ、その傘がかわいいから、とか?」
赤い傘は吉田佳奈に似合っていた。傘をくるくる回しながら笑っている吉田佳奈に、正直、目を奪われていた。
「ううん、あのね。菊池くんだから言っちゃうけど。雨の日にね、甲斐くんと一緒に帰ったの。それから、雨の日が好きになったの」
雨に煙る街。赤い傘の下で目を伏せてはにかむ吉田佳奈。
初めて吉田佳奈の口から出てきた「甲斐」の名前は、耳の中が溶けてしまいそうなほど甘く甘く響いて。
聴きたくなかった。だから、避けていた。
だけど、聴いてしまった。俺は……何を言えばいい?
俺に対して、友達としての好意以上の何もない。かけらほども。
そんなことは、最初からわかっていた。
だけど、わかったからといって、じゃあいいですよあきらめますよというほど、俺たちはまだオトナじゃないだろう。
泣き叫んで地団太を踏むほどコドモでもないけど。
だけど、最後の悪あがきくらいは、していい?
俺は、吉田佳奈の左腕をつかんだ。そして、自分の方に強く引き寄せる。
赤い傘が、吉田佳奈の手からゆっくりと落ちる。手折られた花のように。
「菊池くん?」
困惑した声。
俺はかまわず、吉田佳奈を抱きしめる。
「好きだ」
本当は、ずっと、こうして触れたいと思っていた。そのきゃしゃな体を、自分のものにしたいと。壊してしまうかもしれないほどの強い力で。
心は俺の元になんか、ない。心のない抜け殻。だけど、今、ここにいる、確かな重みと体温を持った人間の体。
シャンプーの匂いも、やわらかい肌も、鼓動も、すべてを抱きしめて。
これから、俺はどうすればいい?
気のいい友達役は、もうごめんだ。
「…あ…」
不意に腕の中で響く、吉田佳奈の声。
この細い腕のどこにそんな力があったんだろうと思うような力で、俺の胸を押して、急に俺の腕の中からは温かさが消える。
まだ俺は現実に戻れなくて、ぼんやりと腕からはがれたいとしいものをながめ、そのいとしいものの見ている先に視線を移した。
……甲斐。
「ハイ、これ」
甲斐は、俺なんか見ていない。まっすぐ吉田佳奈だけを見つめて。赤い傘を吉田佳奈にさしかける。それから、甲斐がさしていた透明な傘も、吉田佳奈に握らせる。
ふたりだけの時が流れている。入り込めない。俺は間抜けな傍観者だ。
だけど。
なんで甲斐が笑っているのか、不思議だった。
どうして笑っていられる? おまえの好きな……女、だろう?
「ありがとう、楽しかった」
「何、言って……」
雨の中、甲斐はきびすを返すと街の中に走っていった。
止まった時間が動き出す。
ゴォゴォと車は走り、人々の笑いさざめく音が聞こえ出して……。
そうだ、俺。
「吉田っ、何やってるんだよ。甲斐のこと追いかけなくていいのか? 行けよ!」
吉田佳奈の背中を押す。
だけど、その背中は震えているだけで動かない、動けない。
「ごめん、俺……こんなつもりじゃ……」
震えた背中がしゃがみこむ。
透明な傘を抱きしめて。
こんなとき、どうしてやればいい?
「甲斐くん……ごめんね……ごめんね……」
嗚咽の中のちいさな声。
謝るのは俺なのに。
突然、こんなことをして。傷つけて。
好きな女の子の笑顔を守ることもできないで、すべてを叩き壊して、失って。
お れ は な に を し て い る ん だ
雨が一段と強くなる。
今の俺にできることは、吉田佳奈が少しでも濡れないように、傘をさしていることだけだった。
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