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2006年10月30日 (月)

vol.3 "ONE MORE KISS"3

なな子さんには、それからしばらくして、逢ってしまった。

背が小さくって、やわらかい印象のかわいらしいひと。あたしを見て、にっこりと笑いかける。

「絢音ちゃん? 磯島くんがいつも言ってたよ、かわいい妹だって」

平気で傷つくようなことを言う。彼女は当然、気づいていないけど。気づかれちゃいけない。あたしは、引きつった顔を冷静に見せるのが、やっとだった。

なな子さんは何も知らないから、人のよさそうな顔でにこにことしている。ふわふわした長い髪の毛が日差しに透けて、とても綺麗に見える。尚クンも、きっとこんなふうにこのひとを見ているのだろう、そう思うと、胸が焦げそうだった。

あたし、今、きっと、すごく嫌な顔をしている。今まで生きてきた中で、いちばん醜い顔。彼女の綺麗な笑顔とは対照的な。

「あたしね、尚クンのこと、2年前から知ってます」

彼女は怪訝な顔になる。急に何言ってるの? きっとそんなところだろう。あたしの口は、止まらない。

「尚クン、あたしのお姉ちゃんのお店で、バイトしてます」

「うん」

「お兄ちゃんのバンドでやってたから、今も時々遊びに来るんです、うちに」

なな子さんは、いよいよ怪訝な顔をする。唐突に、訳のわからないことばかりを話しすぎている。彼女には、あたしの真意がわからない。小首を傾げている。

「どうしたの? 絢音ちゃん」

……あんたなんかより、あたしの方がずっと彼のことを知っている。横から入ったくせに、ずるいじゃない、盗らないでよ!

でも、言えなかった。

あたしは、急にへらへらと笑って、尚クンのこと紹介しちゃいましたぁなんておちゃらけてみせて、それが精一杯の強がりだった。なな子さんは、あたしの笑顔にほっとしている。そして、教室での尚クンの話なんかをしてくれる。あたしの知らない尚クン。聞きたいような、聞きたくないような。だけど、彼女の口からは、聞きたくない。どれだけ残酷なことをしているか、彼女は気づかない。あたしは、心の中で何度も叫ぶ。

―――あんたなんか、大っ嫌い。

こんなにかわいらしいひとでも。

尚クン盗るなんて、許せない。尚クンのココロ、盗んじゃうなんて。

あたしは、もう2度と、尚クンの前で妹の顔なんてできない、と思う。

。。。。。

あたしの中には、どろどろとしたものが流れ始めた。学校では、ともだちとにこにこわらってお喋りをする。でも、それ、は急に湧き上がってきて、あたしは吐き気をもよおしてしまう。

苦しいの。

あたし、もう、尚クンに逢えない……。



だけど、こういうときに限って、尚クンに逢ってしまう。尚クンは、にこにこと近づいてくる。あたしの心は、お願い来ないでと叫ぶ。でも、どこかで喜んでいる、尚クンに逢えて。

尚クンはおどけたように、俺よりカッコイイ彼氏、元気かぁ、なんて訊いてくる。元気だよ、だって目の前にいるもの。もし、そんなこと言ったら、どんなことになるだろう。鈍感だから、まわりをきょろきょろ探すんだろうか。馬鹿な尚クン。どうして気づかないんだろう。あたしが、こんなにも想っているのに。こんなに好きなのに。

あくまでも鈍感で、自分の恋に夢中な尚クンは、あのひとの話をしたそうにあたしを覗き込む。冗談じゃない。でも、聞いている顔をする。心の中では、耳をふさいでいる。もういい、聞きたくない。でも、尚クンの嬉しい顔を見つめている。きっと、あたしには心を許してくれている。だから、こんな顔をするんだ。他の人といるときに、こんな顔はしない。それとも、恋がそうさせているの?

あたしの恋は、じくじくと醜くなっていく。尚クンが幸せな顔をすればするほど、速度を増して腐っていく。あたしって、心が狭いのかな? 尚クンは、こんなにも幸せそうなのに。彼の幸せを自分の幸せに思ってあげられない、なんて。

今までは違ったね。尚クンが嬉しいときは、絢音も嬉しかった。尚クンが笑っているときは、絢音も笑っていた。今も、顔だけは笑っているかもしれない。でもね、心が泣いているよ。あなたが好き、ひとりじめしたいのって、叫んでいるよ。

そんなあたしに、あなたは、なな子がさぁ、なんて呑気に話し続ける。

あたし、心の中で、あのひとを殺したよ。日差しに透けた長い髪や、鼻の上に愛らしく散ったそばかすまで憎んだんだもの。

あたしの心の中を見ることができたら、尚クン、あたしをどうするかしら。殴る? なじる? それとも、もう、口もきいてくれない?

あたしがぼんやりしてるから、尚クンはあたしを心配する。やめて、お願いよ。あたしのなかのあたしが叫んでいる。なのに、顔はお面をかぶったかのように笑いを貼り付けて、ううん何にもって言うの。違う、言いたいことばは、そんなのなんかじゃない。あたしはあなたの妹なんかじゃない。笑ってなんかいない。あなたの幸せを望んでなんかいない。あたしの気持ちは。



好きなの。

あたし、あなたが。

好きなんです。

心から。

こんなにも。



お願い、気づかせて欲しくなかった。

もうすこし、無邪気な妹でいる時間が、欲しかった。

。。。。。

尚クンの歌っているCDはかけなくなった。

あんなに尚クンにおねだりして、やっともらった宝物だったのに。

あたしの大好きな、せつないラブソング。あれは、絢音のためじゃない、あのひとのことを想っている。その声が高音で甘くせつなく溶けるとき、尚クンの目は、きっとあのひとを映している。

苦しい。

尚クンの声を聴くと、張り裂けそうなの。あの声で、あの瞳で、あのひとに愛を打ち明けるシーンが、目に浮かぶ。あのひとはきっと、彼を受け入れる。あのやわらかな笑顔で、細い手足で。あたしはここで、くちびるを噛み締めるだけ。泣いても叫んでも尚クンの目はあのひとしか映さない。

それとも、もっと残酷なことがおきるかもしれない。あたしに、祝ってほしいと、言う。兄貴の恋が実ったんだぜ、なんか言えよ、なんて。あたしはへらへらと顔の皮1枚で笑って、おめでとうなんて言うの。

ああ。

あたしは、あたし自身の小説の中ですらヒロインになれない。なんて可哀想なピエロ役。はじめて好きになったひとの妹にしか、なり得ない。血を吐くような気持ちでも、祝福のことばを投げるしかない。

いったい、どうしてこんなことになっちゃったの?

いったいいつから?

あたしが主役なら、ハッピーエンドのはずなのに。

あたしの恋は、はじめから、始まらない。ドラマが始まらない。

尚クン。

忘れられたらいいのに。忘れたい。

……忘れない。

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