vol.3 "ONE MORE KISS"3
なな子さんには、それからしばらくして、逢ってしまった。
背が小さくって、やわらかい印象のかわいらしいひと。あたしを見て、にっこりと笑いかける。
「絢音ちゃん? 磯島くんがいつも言ってたよ、かわいい妹だって」
平気で傷つくようなことを言う。彼女は当然、気づいていないけど。気づかれちゃいけない。あたしは、引きつった顔を冷静に見せるのが、やっとだった。
なな子さんは何も知らないから、人のよさそうな顔でにこにことしている。ふわふわした長い髪の毛が日差しに透けて、とても綺麗に見える。尚クンも、きっとこんなふうにこのひとを見ているのだろう、そう思うと、胸が焦げそうだった。
あたし、今、きっと、すごく嫌な顔をしている。今まで生きてきた中で、いちばん醜い顔。彼女の綺麗な笑顔とは対照的な。
「あたしね、尚クンのこと、2年前から知ってます」
彼女は怪訝な顔になる。急に何言ってるの? きっとそんなところだろう。あたしの口は、止まらない。
「尚クン、あたしのお姉ちゃんのお店で、バイトしてます」
「うん」
「お兄ちゃんのバンドでやってたから、今も時々遊びに来るんです、うちに」
なな子さんは、いよいよ怪訝な顔をする。唐突に、訳のわからないことばかりを話しすぎている。彼女には、あたしの真意がわからない。小首を傾げている。
「どうしたの? 絢音ちゃん」
……あんたなんかより、あたしの方がずっと彼のことを知っている。横から入ったくせに、ずるいじゃない、盗らないでよ!
でも、言えなかった。
あたしは、急にへらへらと笑って、尚クンのこと紹介しちゃいましたぁなんておちゃらけてみせて、それが精一杯の強がりだった。なな子さんは、あたしの笑顔にほっとしている。そして、教室での尚クンの話なんかをしてくれる。あたしの知らない尚クン。聞きたいような、聞きたくないような。だけど、彼女の口からは、聞きたくない。どれだけ残酷なことをしているか、彼女は気づかない。あたしは、心の中で何度も叫ぶ。
―――あんたなんか、大っ嫌い。
こんなにかわいらしいひとでも。
尚クン盗るなんて、許せない。尚クンのココロ、盗んじゃうなんて。
あたしは、もう2度と、尚クンの前で妹の顔なんてできない、と思う。
。。。。。
あたしの中には、どろどろとしたものが流れ始めた。学校では、ともだちとにこにこわらってお喋りをする。でも、それ、は急に湧き上がってきて、あたしは吐き気をもよおしてしまう。
苦しいの。
あたし、もう、尚クンに逢えない……。
だけど、こういうときに限って、尚クンに逢ってしまう。尚クンは、にこにこと近づいてくる。あたしの心は、お願い来ないでと叫ぶ。でも、どこかで喜んでいる、尚クンに逢えて。
尚クンはおどけたように、俺よりカッコイイ彼氏、元気かぁ、なんて訊いてくる。元気だよ、だって目の前にいるもの。もし、そんなこと言ったら、どんなことになるだろう。鈍感だから、まわりをきょろきょろ探すんだろうか。馬鹿な尚クン。どうして気づかないんだろう。あたしが、こんなにも想っているのに。こんなに好きなのに。
あくまでも鈍感で、自分の恋に夢中な尚クンは、あのひとの話をしたそうにあたしを覗き込む。冗談じゃない。でも、聞いている顔をする。心の中では、耳をふさいでいる。もういい、聞きたくない。でも、尚クンの嬉しい顔を見つめている。きっと、あたしには心を許してくれている。だから、こんな顔をするんだ。他の人といるときに、こんな顔はしない。それとも、恋がそうさせているの?
あたしの恋は、じくじくと醜くなっていく。尚クンが幸せな顔をすればするほど、速度を増して腐っていく。あたしって、心が狭いのかな? 尚クンは、こんなにも幸せそうなのに。彼の幸せを自分の幸せに思ってあげられない、なんて。
今までは違ったね。尚クンが嬉しいときは、絢音も嬉しかった。尚クンが笑っているときは、絢音も笑っていた。今も、顔だけは笑っているかもしれない。でもね、心が泣いているよ。あなたが好き、ひとりじめしたいのって、叫んでいるよ。
そんなあたしに、あなたは、なな子がさぁ、なんて呑気に話し続ける。
あたし、心の中で、あのひとを殺したよ。日差しに透けた長い髪や、鼻の上に愛らしく散ったそばかすまで憎んだんだもの。
あたしの心の中を見ることができたら、尚クン、あたしをどうするかしら。殴る? なじる? それとも、もう、口もきいてくれない?
あたしがぼんやりしてるから、尚クンはあたしを心配する。やめて、お願いよ。あたしのなかのあたしが叫んでいる。なのに、顔はお面をかぶったかのように笑いを貼り付けて、ううん何にもって言うの。違う、言いたいことばは、そんなのなんかじゃない。あたしはあなたの妹なんかじゃない。笑ってなんかいない。あなたの幸せを望んでなんかいない。あたしの気持ちは。
好きなの。
あたし、あなたが。
好きなんです。
心から。
こんなにも。
お願い、気づかせて欲しくなかった。
もうすこし、無邪気な妹でいる時間が、欲しかった。
。。。。。
尚クンの歌っているCDはかけなくなった。
あんなに尚クンにおねだりして、やっともらった宝物だったのに。
あたしの大好きな、せつないラブソング。あれは、絢音のためじゃない、あのひとのことを想っている。その声が高音で甘くせつなく溶けるとき、尚クンの目は、きっとあのひとを映している。
苦しい。
尚クンの声を聴くと、張り裂けそうなの。あの声で、あの瞳で、あのひとに愛を打ち明けるシーンが、目に浮かぶ。あのひとはきっと、彼を受け入れる。あのやわらかな笑顔で、細い手足で。あたしはここで、くちびるを噛み締めるだけ。泣いても叫んでも尚クンの目はあのひとしか映さない。
それとも、もっと残酷なことがおきるかもしれない。あたしに、祝ってほしいと、言う。兄貴の恋が実ったんだぜ、なんか言えよ、なんて。あたしはへらへらと顔の皮1枚で笑って、おめでとうなんて言うの。
ああ。
あたしは、あたし自身の小説の中ですらヒロインになれない。なんて可哀想なピエロ役。はじめて好きになったひとの妹にしか、なり得ない。血を吐くような気持ちでも、祝福のことばを投げるしかない。
いったい、どうしてこんなことになっちゃったの?
いったいいつから?
あたしが主役なら、ハッピーエンドのはずなのに。
あたしの恋は、はじめから、始まらない。ドラマが始まらない。
尚クン。
忘れられたらいいのに。忘れたい。
……忘れない。
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