NO WOMAN NO CRY 11
次の日の夕方、愛穂に逢うために、外に出た。
河川敷をぶらぶら歩いていると、レコード屋の黄色い袋を手にさげた尚人と夏川カナコが川下の方から歩いてきた。
夏川カナコは、長い髪を風に揺らして歩いていた。暑い日だったけど、彼女の周りだけ涼しい風が吹いていそうだった。彼女は目を細めて、小さな顎を上向けて、尚人を見上げる。尚人も目を細めて頷く。そしてふたりで川の方を見つめる。
なんだ、結構うまくやってるんじゃないか。
俺は安心して、道をそれて橋を渡る。尚人たちは、俺に気付かない。
待ち合わせより10分も前に着いたのに、愛穂はもう待ち合わせ場所に立っていた。
相変わらず地下街は、人通りが激しい。俺は、ゆっくりと近づいていく。愛穂は気付かない。うつむいて、足元ばかりを気にしている。リボンのついたサンダル。桃瀬はいつもシンプルな靴ばかりを履いていたことを、なんとなく思い出した。
目の前に立つと、愛穂はやっと顔を上げる。
少し痩せた。少し、大人びた。薄化粧、淡い色の洋服。こいつ、こんなに儚い雰囲気の女の子だったっけ。ちょっとだけ動揺してしまうようなものを、いつの間にか身につけている。
「よ」
努めて軽く、俺は言う。愛穂はこくんと頷く。
「こんにちは。今日は急につきあわせちゃって、ごめんなさい」
「いや、構わないよ、暇だったし。それより、どこかいきたいとこ、あるか」
考えてみれば、愛穂とこんなふうに待ち合わせたり、街中を歩いたりすることはなかった。昔、学校帰りにたまに一緒になるくらいで。不思議な気持ちで、この女の子を見つめる。こんなふうに逢うなんて、考えたこともなかった。いつ、こんなふうに逢っていても不思議じゃないくらいに近くにいたのに。
「ねえ、先輩。あたし、ハタチになったんですよ」
甘えた声で話す愛穂。
「よく言うよ。飲みには行ってるんだろ」
「でも、先輩のよく行くようなお店に、連れて行ってほしいなぁ」
声は甘えているけれど、目は伏せている。愛穂らしくない。いつもは元気で甘えん坊な妹分なのに。
何かあったのかな。
だけどそれには気付かないふりで、愛穂の肩をとんっと叩いて促す。愛穂は、俺の腕に自分の腕を絡ませた。いつか、こんなことがあった気がする。たぶん、もうずっと前のことだろう。
愛穂は、甘くて強いカクテルを、俺が止めるのも聞かず、立て続けに2杯も飲んだ。それから、少し笑って切り出した。
「あたし、失恋しちゃった」
ぽろぽろと涙をこぼす。俺は、箸でつまんでいた海老を、テーブルの上に落としてしまった。ガーリックバターがチェックのテーブルクロスにしみていく。どうしたらいいのかわからなくなって、それをつまんで灰皿にこぼす。人差し指には、バターとにんにくの匂いがしみついた。
「遊ばれてたのかな、あたし。先輩、男のひとの気持ちって、判らない」
目の前でしゃくりあげる女の子に、俺は何もしてやれない。ばかみたいに指をおしぼりで拭うだけだ。
「あたし、どうしたらいいんだろう」
俺も、どうしたらいいんだろう。困惑したまま、ビールをぐいぐい飲み干す。
先刻までは笑顔でいた女の子が、お酒を口にした途端、こんなに泣きじゃくるなんて。ティッシュを持ってきてくれた店員に、ビールのおかわりを頼んで、一気にあおる。俺も酔いたい気分になってきた。もう失恋はたくさんだよ。タクや桃瀬のことを思い出して、ますます滅入ってくる。
愛穂が失恋したって、あの背の高い男か。遊ばれてた、って、そんな悪いやつにも見えなかったけど。所詮、知らないやつの話だけどな。何にしても、今、愛穂は泣いている。悲しいのか、悔しいのか、寂しいのか。タクや桃瀬の悲しみは、それなりに静かに受け止めていたのに、今の俺は困惑して動揺している。どうしていいのかわからない。男の方を知らないからだろうか。
「先輩、何か言ってください」
愛穂はしゃくりあげる息の途中で、呟く。
「何かって?」
「何でも、いいんです」
何でもいいって、どうすればいいんだろう。慰めの言葉が必要なのか、めそめそ泣くなと怒ればいいのか、その男を罵ればいいのか。俺には、的確な言葉を言ってやる才能がない。まして、優しい言葉は。
「そんなに、泣くなよ」
やっと出てきた言葉は、それだけ。格好悪い。
ばつの悪さに、次から次へとビールを流し込む。愛穂は、俺が差し出したティッシュで涙を拭う。目も、目の周りも、鼻の頭も赤くなっていた。
「ごめんなさい。つい、先輩には甘えちゃうんです」
潤んだ瞳のまま、愛穂はようやく笑顔をつくった。
胸にずきっと響いた。
愛しいと思った。
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