あおのあお
何年前のうたなのかな、生まれるよりもきっとずっと前のヒット曲なんだけど、よーく知っている。
ときどき、なんとなくうたっている。
うえをむいてあるこうなみだがこぼれないように
だけどさー。上を向いても、涙ってこぼれ落ちてくるんですけど。
ぼたぼたぼたぼたと。鼻水だって垂れてくる。
太陽がまぶしくって、ますます泣けてくらー。
この空の青に、吸い込まれてしまいそうだ。
空は広いな大きいな……これは海だったっけ。
なんにしても。この空と比べて、なんて自分はちっぽけなんだろう。
ちっぽけなあたしの、ちっぽけな悩みなんか、ちゃんちゃらおかしいや。
ちゃんちゃらおかしいやって。笑いながら、また泣いた。
空はどこまでも青くて、透き通っていた。
「好きな子ができたんだ」
耳の奥でリフレインすることば。
意味がわからないのに、くるくると回る。
いや、意味はわかっている。心が理解しようとしないだけで。
「だからもう会えない」
セカンドでもいい、セフレでもいい。
なんでもいいから側にいさせて。
そんなことばのかたまりをムリヤリ飲み込んで、笑った。
いいよいいよ、オマエなんかよりイイ男は5万といるさ。
そんなあたしに、ほっとした笑顔を向ける男。コイツ、バカダ。
いい男が5万いても、好きになれる男なんか、そんなにいるわけないだろ、ばか。
ソンナバカヲ、マダ好キナ自分ガ、イチバンバカダ。
だって、知ってた。ほかの女の子――しかもめちゃくちゃかわいい子――と一緒にいたのを、見たことがある。黙っていたけど。ともだちにも言われた。なんか、ヤバくない?って。
だけど、信じたかった。
気付かないふりをし続けた。
のんきに笑っていれば、きっといつか戻ってくるんじゃないかなんて、甘い夢をみていた。
軽いシカトも気付かない振りして、今日なんかのこのこと家まで押しかけて。
見て、この手土産。タッパーに詰めた肉じゃがなんて。泣けるでしょ、この押し付けがましさ。でも、好きだったじゃん? あたしのつくった肉じゃが。
そしたら、ため息交じりの最後通告。
好きな子ができたって。もう会えないって。
今にも震えだしそうだったから、頬の内側を強く噛んだ。切れた。
生ぬるい血の味が広がって、吐きそうになる。
吐きそうだ、吐きそうだ、吐きそうだ。
だけど、目の前でへらっと笑うこのばかの前で弱いところは見せられない。
背筋を伸ばして、立ち上がって、じゃあねと言って部屋を出る。
見慣れた部屋。匂い。
ちょっと前まであたしの一部だった何かが剥がれていく。
くらくらする。ああ、地球は、回っているんだ。いや、これは、めまいだ。
だけど、2本の足で、毅然と立つ。
そんなあたしの背中に、男は冷たいつららを突き刺した。
「ゴメン」
ゴメンで済むならケーサツいらねーっつーの。
倒れそうになった。倒れないけど。
ドアを閉めて、もしも追いかけてきたらなんてありえないこと考えたら少し早足になって、だけど追いかけてくることなんてないから別に泣こうがわめこうが関係ないんだって思って、でも泣き顔が不細工だと言われたことがあったことを思い出したから慌てて走った。
めちゃくちゃカワイイ新カノに偶然ばったり会ってしまったらどうしようかと思いながら、めちゃくちゃ走った。
「ここに来る途中に、鼻の穴広げて泣いてる女の子を見たよ」
なんて言われちゃった日には。
男に、絶対あたしだって気付かれるから、やだ。
去っていくあたしのほうが、カワイイ新カノより果てしなく不細工なんて、かっこ悪すぎる。
泣くもんか。見られるもんか。
上を向いて歩こう。涙がこぼれても歩こう。
見上げた空がめちゃくちゃ青かった。
青くて青くて青かった。
太陽が目にしみる。
上を向いたまま歩いていたら、つまずいて転んだ。
遠くで小学生が「水玉ぱんつー」とはやし立てているのが聞こえる。
近くにいたサラリーマンが、笑いを含んだ声で「大丈夫ですか」と声をかけてきて、あたしの泣き顔をみてぎょっとしていた。
驚くほど不細工でしたか。そうでしたか。
だけどサラリーマンさんは親切で、あたしのスカートの乱れを直してくれて、ハンカチを貸してくれた。
「何があったか知らないけど、元気出して」
励まして去っていくサラリーマンさん。
やさしいなぁ。
やさしさが滲みるなぁ。
他人とは、かくもやさしきものなり。つらいこと多いんだろうね、サラリーマン。だからひとにやさしくなれるんだね、サラリーマン。
ハンカチ、もらっちゃっていいんスか。鼻かんじゃいますよ。びぃ~む。
どうにも膝が痛いと思ったら、すりむいて血が滲んでいた。
このハートもすりむけて血が滲んでいるのだろうか。それともぽっきり折れているのだろうか。この痛さは、一体、何なんだ。
傷口を、ハンカチで押さえようとして、やめた。汚れてしまう、傷口が。
それに、血の染みは洗っても落ちない。せっかくの青が汚くなる。
めちゃくちゃに青い空と同じだけ青いハンカチ。サラリーマンさんの汗とか涙とか吸い込んだかもしれないハンカチ。
幸福は黄色いハンカチで、涙を拭くのは木綿のハンカチーフで。
どっちも古い話だなー。いつの時代の人間だ。
そもそも。
こんなちっぽけなことで、こんなにぐしゃぐしゃに泣きながら歩くなんて、時代錯誤も甚だしい。
だけど、おかしい。止まらない。
おかしすぎて、ちょっと笑う。
ははははは。
……涙だらだら、鼻水だらだら、膝から血を流した土埃まみれの女が笑っている。
相当シュールな絵だぞ。
大笑いだ。
笑うほどに涙が止まらない。
おかしくって笑ってるんだよー。笑いすぎて泣いてるんだよー。
心の中でどんなにアピっても、誰にも通じない。
こんなにぐちゃぐちゃじゃあ、電車にだって乗れやしない。
仕方なく、公園に立ち寄る。
ちっぽけな児童公園。うさぎやぞうの遊具むなしく、ひとっこひとりいない公園で、さるのブランコにひとり腰掛け、少し揺らす。
ブランコ、何年ぶりだろう。
こどものころ、よく乗ったなぁ。空に飛んでいけるんじゃないかと思って。
ぐいぐい、こいでみる。
どこまでこげるかな。地面と水平になるくらい。いや、空に手が届くまで。
行け行けどんどん……うえっ、キモチワルイ。酔ってきた。
こどものころは、全然平気だったはずなのに。
慌ててブランコを止めて、手にしていたハンカチで口元を押さえる。
あ、コレ、鼻かんだハンカチだった……。
太陽はまぶしくて、空は青くて、悲しいくらいいい天気のうららかな春の日。
失恋をしたあたしは、親切なサラリーマンさんの血と汗と涙、そして自分の鼻水を吸い込んだハンカチを片手に、上を向いて歩いていた。
こんなあたしを、人はどんなふうに思っているのだろう。
どうでもいいや。笑いたければ笑えばいいさ。
今日はこんなあたしでも仕方ない。
だけど明日からは、絶対キレイになってやる。
ふったことを悔やむくらいキレイになってやるから。
青い空に誓う。
青い青い青い空に、誓った。
。。。。。。。。。
実話が元になっているわけではありませんが、はじめて失恋した日、確かに泣き笑いをしたのを覚えています。
アレも春だったっけ? チャリ、乗ってたなー。
「あおのあお」、そんなことばを思いついたばっかりに、こんなおはなしを書き上げてしまいました。ふはは。
ちなみに、今まで書いたおはなしの、どの登場人物より、ぺぺに近いです。この壮絶なまでのノリツッコミ感と、自虐感が(^^;)
失恋してもなお、思い出に溺れることなく突き進んでゆく。ぺぺの基本姿勢です。
でも、王子様には失恋したくない~ん★ てへ★
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